− 価格破壊と環境破壊 − 

 
最近、物の値段が数年前に比べてかなり安くなってきました。例えばビデオデッキです。 先日もビデオデッキの新品が2,970円で売られていました。我が家ではビデオデッキを修理に出しましたところ 修理賃が15,000円かかりました。新品の約5倍です。 こんなに新品が安くなれば修理にはだれも出さなくなります。 修理に出さずに新品を買えば故障したものは廃棄処分され、新品は新たな資源を使うことになります。 ロボットなどで機械化された製造ラインに必要な人員は修理に必要な人員よりは少なくすみ雇用の創出にはなりません。 製品の修理は、新しく同じ製品をつくるのに比べて、労働力はより多く必要ですが資源は少なくてすみます。 修理は環境に優しく雇用の創出につながります。
「永続する経済でなされる労働の総量は自然資源のフローが縮小するほどには減らないであろう。というのは、 資源を多消費して生態系を傷つける製品や消費のほとんどは、雇用創出量が少ないからである。 実際、高い労働集約性と環境への負荷の低さとのあいだには、驚くほど高い相関がある。 たとえば、製品の修理は、新しく同じ製品をつくるのに比べて、労働はより多く必要だが資源は少なくてすむ。 鉄道輸送は匹敵する規模の自動車輸送に比べて、雇用の量は多く、自然資源の消費は少なくてすむ。 エネルギー効率を向上させるための仕事は、エネルギー生産を増大させるための仕事よりも多くの働き手を必要とする。 またリサイクル活動は、ゴミの焼却処理や埋め立て処分以上に多く人を雇用する。 世界のほとんどの国の土地利用政策は、再生可能な資源を過小評価し、生態系の機能を無視してるため、 公有地から採取され共有の環境に影響を与える原材料に、実体にそぐわない安い値段がつけられている。 石炭や石油の値段は、その製造や燃焼が人間の健康や生態系におよぼす悪影響を反映してはいない。 パルプや紙の価格は、その生産工程が生息地を破壊することや水を汚染することを考慮してはいない。 有毒な化学製品から過剰な包装にいたるまで、多くの製品が、その値札が示す以上に大きなコストを地球に押しつけている。」 (『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.111・P.112)

安く売ることは消費者のためと言う販売者がいますが、ほとんどの場合、消費者のためではなく販売者のためです。 1個でも多く他の販売店よりも売って儲けたいのが本音だと思います。商品が安くなれば物を大事にしなくなります。
100円の物と1000円の物とでは、どちらを大事にするかと問われれば1000円の方を大事にするはずです。 100円ショップで買ったものを大事に長く使おうと思って買う人はほとんどいないと思います。
大事にしなければすぐにゴミとなり資源をムダにし環境汚染に拍車がかかります。 輸入した安い物が直ぐにゴミになるのならゴミの捨て場に困っている日本に私たちはわざわざ外国からゴミを輸入していることになります。 何かバカげているとは思いませんか?

食料品も値段の安い方が買う側にとってはいいのですが、これを環境面や健康面から見ると必ずしも安い方がいいとは限りません。
食料品を安く造るために健康を害する農薬や食品添加物などを使って大量に生産、販売をします。 農産物を栽培するときの農薬が水質悪化を招き、その食料品を安いからと多く食べたり、 衝動買いをして腐らせてしまったりして無駄が生まれます。その結果、環境汚染やガン、肥満、高血圧、 糖尿病などの病気をつくり、人々を苦しめ、医療費などの増加で国の財政をも圧迫します。

石けんも食料品と同じで安ければ使わなくてもいい所にまでもついつい使ってしまったり、適量以上に多く使用したりします。 資源の無駄遣いになり、有機物を必要以上に環境中に排出する事になります。
「新潟大の高橋敬雄教授(環境工学)が、新潟市周辺の三十二世帯で調べたら、洗濯排水に含まれる有機汚れのうち、 衣類の汚れは十三.五%で、残りは洗剤そのものだった。 わずかな汚れを落とすために、大量の洗剤が流されている計算になる。 (中略)洗剤の量や洗濯回数を減らすなどの工夫が重要だ。」 (『せっけんも地球を汚す?』朝日新聞・2001年1月8日朝刊)
しかし、石けんの価格破壊が起これば気軽に使える ようになりムダに使う量が増え、当然、有機物が増えることになり資源も多く消費することになります。 値段が高ければ、「もったいない」という心理が働きますのでムダな消費はしません。 朝日新聞紙上のくらし面「せっけんも地球を汚す?」でも最終的には合成洗剤も石けんも使用量を減らすことを勧めています。 石けんも価格が高ければムダに使わないしもったいないという心理が働き大事に使います。 石けんなど環境に優しく人にも優しい商品を売り手の独占的金儲けのために客引き用の目玉商品にして大量消費に導く ような売り方はしてほしくありません。環境に優しいはずの商品で環境破壊などが引き起こされるのも悲しい気がします。

「1960年にはアメリカの新車の5パーセントがエアコンを装備しているにすぎなかったが、今日では約92パーセントにも のぼる。エアコンは、自動車が気候変動に与える影響を70パーセント近く増加させ、オゾン層を破壊するフロンを大気中に 放出している。」(『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.82)
世界の石油消費の四分の一以上を占めているのは乗用車の燃料だそうです。 ガソリンが安ければ気軽に車に乗るようになり、歩いて行けるところでもついつい車に乗るようになりエアコンなども遠慮なしに 使います。そうなれば環境を汚染したり温暖化に拍車を掛けるようになります。
私はニッサンのセレナカーゴ1600ccで毎日、商品を積んで仕事をしています。運転はエコ運転をしています。エコ運転とは車を発進させる時に ゆっくりスタートしたりエアコンをなるべく使用しないようにしてムダに燃料を消費しないようにする運転です。 (詳しくは私のコラム『環境と財布にやさしいエコ洗車・エコ運転』をお読み下さい。) 私の乗っている車の平均燃費は1リッターあたり約11から15kmくらいです。この夏(2001年)、リッター17.9kmを記録しました。
しかし、私と同じセレナカーゴ1600ccに乗っている人がホームページでその方のセレナカーゴの燃費について書いておられました。 「オイラは飛ばし屋なので、いつでもアクセル全開な為、燃費は大体、街乗りで6から7キロ位、高速では8から9キロくらいです。」 同じ車ですが乗り方で燃費はかなり違ってきます。
車に乗ることは結局自分のためですが、他人に迷惑を与えていることも考えて車に乗れば少しでも環境に優しくなりますので 他の商品も売り方一つで環境に優しくなると思います。 燃料が高ければ乗り方を皆さんも考えるようになるのではないでしょうか。

「『消費しなければ衰退する』という論にも一理はある。たしかに世界経済は、世界の豊かな五分の一の消費者の生活に必要な 財やサービスを供給することを中心にかたちづくられている。 高消費から低消費への転換は、そのような経済構造を根底からゆさぶることになる。 何より悪いのは、多数の家族や地域社会に痛ましい大混乱をもたらすであろうことだ。 しかし、この論理の擁護者は、消費しつづけた場合に起こる問題を無視している。地球から奪いつづけ、汚染しつづけると、 その結果は、低消費による衰退どころではない。水質汚染と乱獲が漁場を殺してしまえば、漁師は何もできなくなる。 繰り返し襲う干ばつが作物と家畜を打てば、農家はその土地を捨てることになる。 大気汚染や酸性雨、それに気候帯の変動で森林が枯死すれば、林業者はお手上げだ。 人々が収入のほとんどを乏しい食糧の確保に費やさざるえなくなれば、自動車メーカーや住宅メーカーが獲得できる客は 多くないだろう。簡単に言えば、死につつある惑星の上ではビジネスはうまくいかないのだ。 この見地に立てば、労働者が失業するかもしれないという事実は、消費を減らすことに反対する理由にはならない。 兵器産業で失業が生じるから平和に反対するという理屈が通らないのと同じである。」 (『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.109)
環境を壊してしまえば修復のコストも高くつきます。 地球の資源や大きさは限られています。そのことを考えれば永遠の繁栄はあり得ないことは分かるはずです。 すべてに寿命があります。経済も然り。永遠の繁栄はないといえます。 風船もある大きさになった時に空気を入れるのを止めておかないと破裂します。 日本のGDP(国内総生産)はすでに約500兆円の大肥満体です 。肥満になると高血圧や糖尿病、高脂血症など色々と病気が現れるます。これ以上、太ると自分の体重を支えきれなくなり 立ち上がることもできなくなり、最後には病死してしまいます。 それなのに日本もアメリカ同様、他国に行ってまで他国の栄養を摂ろうとしています。 そのようなことをしていれば他の国の人達は栄養を摂れなくなり、やせ細ってゆきます。 「売上高では、邦貨換算で5兆円を上回る勝ち組6グループなど『上位寡占』が急速に進んでいる実体が浮き彫りになった。 上位10社の売上高合計は68兆4172億円で全体の約3割を占める。 増収率でも10社中9社が2ケタの伸び率を記録した。 海外への急速な出店、矢継ぎ早の企業の合併・買収(M&A)など、各社積極的な規模拡大戦略を反映している。」 (『5兆円クラブ・6社快走』日経流通新聞・2001年10月4日)
このように力のある大手が合併・買収を繰り返し徐々に勢力を拡大し、世界にわずかな数の大手企業が市場を独占するように なります。資本主義の究極はたった1社が世界を支配するということになります。このように競争原理を採り入れた社会では 富はほんの2〜3%の人達が独占するようになります。 2〜3%に入れなかった人はこまねずみのように働かないと生活できなくなるということです。 「アメリカの労働者の平均時給は1973年に頂点に達し、その後25年間にじわじわと下がっている。 この間、記録的な数の女性が労働人口に加わったが、これは男女同権論に突き動かされてというよりは、 生活費を捻出する必要に駆られてというのが主な理由だろう。」 (『ファーストフードが世界をくいつくす』エリック・シュローサー著・草思社・P.11)
1年か2年前に、NHK総合テレビでアメリカの労働者のことを放送していました。 その中で印象的だったのがかなりの数の男性は3つ職を持っているということです。 3つも職を持たないと生活できないようなことを言っていました。 約25年前、ほとんどのお父さんは職を2つ持っているということをあるアメリカ人から直接聞きました。 夕飯の前に1度、家に帰って来て、夕食を家族と一緒に食べてからまたもう1つの仕事に行くと話していました。 よく日本人の労働時間は長いと言われますが実際はアメリカ人の方が長いのです。 それほどアメリカは特定の人達が富を独占していて普通の人はこまねずみのように働かなければならない社会と言えます。 しかし、自然界には富を特定の者だけが独占するというものはありません。 これは自然界から見れば不自然なことです。不自然なことはいつかは崩壊します。
世界の先進国の経済はすでに肥満状態にあります。 太りすぎて体を壊す前にもうこれ以上太らないようにして健康を維持(ゼロ成長)するようにすることの方が、 病気(失業など)になりはしないかと心配して生きるよりも幸せになれるような気がしませんか?

商品の値段が安くなれば皆さんは本当に幸せになれるのでしょうか? 確かに商品が安くなれば物を多く買えるので幸せになったような気がします。 しかし、日本で造る製品を安く売るためには製品の製造コスト、流通コスト、販売コスト、人件費を下げなければ出来ません。 それらのコストで一番高くつくのは人件費です。 製造コストを下げるために人の代わりにロボットが製造ライン上にならび製品を作るようになったり、 多くの荷物を少人数で捌かされたり、労働賃金の安い他の国に生産拠点を移すようになります。 ロボットや生産拠点の移動、少人数労働になれば人はいらなくなります。 そのために失業者が増加します。失業した人は賃金がもらえなくなり物を買わなくなります。 そうなれば大量生産してコストを下げても買う人がいなければ大量生産の意味がなくなります。 効率を追求するということは人はいらなくなるということです。 製造コストを低く抑えるため私の知り合いが勤めている会社でもベテラン熟練工のクビを切り人件費の安いパートを 雇い製品を製造しているそうです。 失業した人は収入がなくなりますので安い物を求めますので、益々、商品を安くしなければ売れなくなります。 そうすると更にコストを下げるためにまた、従業員のクビを切ることになります。 しかし、日本でのコスト削減にも限界があります。そこで、中国など人件費が日本よりも安い海外に生産拠点を移すことになり、 一段と失業者が増えることになります。 「接客やレジでの集計、チラシ作りや棚札の付け替えなど、店員が行ってきた広範囲な作業をコンピューター化できるように なってきたのだ。日本の店舗運営コストの高さは欧米に比べ際立っているが、デフレに克(か)つには、こうした省力化が どれだけ進められるかがカギになる。(中略)無人レジが米国で普及し始めた。 Kマートはコスト削減の切り札として年内に六千台の無人レジを導入する。ウォールマートなども試験導入に乗り出した。」 (『デフレに克つe店舗』日経流通新聞・2001年9月25日付)
このようにスーパーなどでもコスト削減のため人がしていた仕事をコンピューターが代行し始めています。 価格競争で生き残るためにどんどん機械化されて人の働く場所が無くなって行きます。 生産者は物を生産するだけで一切、消費をせず、消費者は物を消費するだけで生産や販売に一切関わらないというのなら 別ですけど、ほとんどすべての人は生産者であり消費者でもあります。 分かりやすく言えば、お父さんが家族のために会社で生産・販売に関わり、お母さんが家族の者のために消費をすると いうようにある一つの家庭においても生産と消費の両方をしているというように生産者と消費者は表裏一体です。 だからお母さんが安い物ばかりを消費するようになればお父さんの会社では競争に負けないように商品を安く販売 しなければなりません。 安くするためには生産コストや販売コストを下げなければならなくなり生産拠点の海外移転やリストラをすることになり お父さんは職を失うことになるかもしれないということです。 生産者であり消費者でもある従業員は失業をしたら物を買わなくなるのでメーカーは販売先を失うことになります。
とことん効率を突き詰めて行くと消費者を失うという「合理性の不合理」に陥ってしまうということに気付くべきです。

効率や合理性を追求した場合に起こる危険性もあります。 「事件からしばらくして、予想通りの美しい壊れ方であったとうそぶく専門家がいると聞いた。最も経済的に最も合理的に 設計された建築物はすべての部位が同時に破壊されるのが理想だという。最適設計の理論である。」 (『NY貿易センタービル崩壊 危うさ隠す設計思想 背景に20世紀合理主義』中国新聞朝刊・2001年10月8日)
以上は、先日の同時多発テロにあって崩壊したニューヨーク貿易センタービルについて建築評論家・布野修司氏のコラムです。
ニューヨーク貿易センタービルは壊す時にもコストがかからないように効率よく壊れるように設計してあったようです。 合理的に壊れるように造ってなければ死ななくてもいい人が死んではいなかったと思います。 ビルが崩壊しなくてこの事件の犠牲者が少人数だったらどうでしょう。 戦争になっていたでしょうか?しかし、この度は約6000人という多数の人が犠牲になったことが戦争を招いたような気がします。 別の言い方をすれば効率や合理性を追求した結果が戦争を招いたともいえます。 効率や合理性は不幸の元になることが多いような気がします。

不幸になる効率や合理性があるのなら幸福になる効率もないかと考えて見ませんか。
多く消費する方が少なく消費する方よりも幸せだというのが現在の経済学の尺度です。 しかし、多く物を消費しなければ幸福を得られないのは効率が悪いわけです。 燃費の悪い車よりも燃費の良い車の方が効率が良いように、物を少なく消費して最大限の幸せを得る方が効率はとてもいいと ドイツの経済学者E.F.シューマッハさんも『スモール イズ ビューティフル』で主張されています。 たくさん石けんを使って汚れを落とすよりも、洗濯物の量に適した石けんを毎回、計量して使うとか、予洗いをした後に 洗濯をしたり油など大まかな皿の汚れを予め拭き取ってから皿を洗うとかの工夫をして少ない石けんの使用量で汚れを落とすと 石けんをあまり使わないのでお金を節約でき環境に負荷を与えないので心に喜びを感じるなど、これからの経済学は消費の量では なく環境に負荷を与えないなどの満足感のような消費の質で計るようにしなければこの地球の破滅を避けることや人々の 本当の幸せは得られなくなるのではないでしょうか。地球が破滅した後では幸福は永遠に得られなくなります。 現代、実現されている価格破壊は中国など賃金の低い労働力があるから実現している低価格です。 生産を海外に移してでも価格を引き下げて国際価格と同じように安く売らなければこのグローバル化で生き残れないと よく聞きます。しかし、グローバル化のシステムはアメリカ化で、価格はチャイナ化です。 結局グローバルスタンダードはアメリカにとっては非常に有利に働きアメリカ以外の国には有利には働きません。 企業間で競争をさせて物価を下げさせることがいいことのようにアメリカや日本の1部の人達は言っています。 そして彼らは「消費者の利益になる」と安く売ることを正当化しています。 競争社会の低価格販売は大量生産大量消費することが大前提で成り立っています。 しかし、この大量生産大量消費の考え方は資源は永遠にあり、永遠に物不足があり消費は永遠に増加し、ゴミ問題などは 一切ないという前提の上に成り立っています。しかし、現代はそういう考え方とはまったく逆の環境にあります。 残り少ない資源をいかに有効に使ってゆき、生活には困らないだけの生活資材は各家庭にありゴミをどのように減らすかが 問題になっている時代です。 このような世の中で大量生産大量消費は本当にいいことなのでしょうか?
「残念なことに、消費社会は地球という惑星の健康に害をもたらす。アメリカにある何千というショッピングモールは、 歴史上もっとも環境を破壊する生活様式の見本である。」 (『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.i)

「経済的に追いつめられた発展途上国が、なんとか収支を合わせようとして、生態に配慮する心を売り渡してしまうことが きわめて多いのは、悲しむべきことである。皮肉な見方をすれば、先進国の製造業は生産工程を数十か国に分散し、 関係国を手玉にとって相互に競わせながら、低賃金、安価な資源、ゆるやかな規制を手に入れようとしたのだ。 その点でどこよりも露骨に動いたのはフィリピン政府で、1975年に『フォーチュン』誌に広告を出して、規制のほとんどない 輸出用加工工業地域、バーダンを売り込んだ。 『御社に来ていただけるように、山は崩し、ジャングルは切り開き、沼は埋め、川は動かし、町は移動させました。 すべてビジネスをしやすくするためです。』というのが誘い文句だった。」 (『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.47)
原発立地の候補地で起こっている電力会社がお金をちらつかせ土地を買収するようなことを先進国は発展途上国で行っています。 私たちが安い商品を求める代償に自然などの生態系が破壊されています。 それもこれも商品を安く売り、自社を繁栄させるためです。 別の言い方をすれば、すべては自分だけがお金持ちになるためです。 市場経済最優先の世の中で人の命から愛情、家事労働まですべてお金に換算するという考え方が蔓延しています。 だから、お金のためなら何でもするという考え方が生まれて来ます。幸せの物差しをお金以外の物にするようにしない限り 不幸になって行くように思います。

「安さは安さに負ける」といいます。他店より1個でも多く売りたいと商品を安く売っていても必ず、その価格よりも安く売る 小売店が出て来ます。そうなると安売り合戦は泥沼化して行きます。最後には体力のある企業しか生き残れず最後に残った企業が 世の中を支配するようになります。いわゆる独占企業になり価格や品質などもその企業の思い通りになります。
『ファーストフードが世界をくいつくす』(エリック・シュローサー著・草思社)にはそのようなことが書かれています。 ハンバーガーで有名なマクドナルドは1986年ころは175社の地元業者から挽肉を仕入れていましたが、チェーンを拡大する ため商品規格を徹底するようになり数年後には牛肉の納入業者の数を5社にしました。 マクドナルドが大きくなるに従って食肉業界も吸収・合併を繰り返し再編を余儀なくされました。 そして現在はほんの僅かな企業が市場を支配し牛肉などの価格を不当に下げているそうです。 価格が下がったために牧場主の取り分が減少し過去20年間で約50万人の牧場主が牛を売り、牧場を去ったそうです。
「今日のじゃがいも市場は『少数購買独占』だという。少数の買い手が、多数の売り手を牛耳っている状態だ。 巨大加工メーカーは手を尽くして、じゃがいも農家への提示価格を引き下げようとする。 農家が生産性を高めれば高めるほど、価格は押し下げられ、利益の配分はますます加工業者とファーストフード・チェーン寄りに かたよる。消費者がファーストフード店でフライドポテトのLを注文して支払う1ドル50セントのうち、じゃがいもを育てた 農家の手に渡るのは、2セント程度だろう。」 (『ファーストフードが世界をくいつくす』エリック・シュローサー著・草思社・P.159)
じゃがいも農家も牧場主と同じで自営農家は絶滅寸前の状況で規模を拡大できない農家は廃業をするしかなくなっているようです。 「敷きわら代わりのおがくずや古新聞を含め、鶏舎から出る廃棄物までが、牛の餌になっている。 数年前『予防医学』に発表された研究によれば、1994年には、アーカンソー州だけで1400トンもの鶏糞が、牛の餌になった。」 (『ファーストフードが世界をくいつくす』エリック・シュローサー著・草思社・P.281)
このような情報も特定の企業が独占的になった場合、企業の力は非常に強くなり批判的な情報は消費者などに流れてこなく なります。情報が流れてこなくなれば私たちはどんな物を食べさせられているのか分からなくなります。 アメリカの食肉業者や農家と同じように日本の農家や小売店にもそのようなことが起きています。 日本でも昔から細々と有機栽培をしていた農家が大手小売店が海外から安い有機農産物を仕入れますので経営が成り立たなく なって来ていますし、ある町に大手小売店が進出してきて大量に商品を並べ安く売ったために今までそこで商売をしていた 小売店(自営業)の商売が成り立たなくなり店を閉めて行き地元の小売店が1件もなくなりました。 その上、進出してきた大手小売店も町外に進出してきた大手ディスカウント店に客を獲られ店舗を閉鎖しました。 そのため、その町内に小売店はまったくなくなりお年寄りが困っている町が実際にあります。 そのことについて永六輔さんは大手販売店の「犯罪行為」と言われていました。 大きくなって競争相手がいなくなった企業は我が物顔で自分の利益のみを追求し消費者のことは考えなくなります。 「構造改革の大波の中で県内の障害者福祉作業所や授産施設も、苦境を強いられている。 行政の予算削減や民間の相次ぐ倒産などで、細々と受注していた仕事は激減しており、入所者たちが手にする月の賃金を 大幅ダウンするしか、施設の存続が見通せない状況。業者間の生き残りをかけた価格競争も追い打ちをかけている。」 (『受注激減し苦境』中国新聞・2001年9月27日付)
価格破壊競争は体力のある大手にとっては有利に働きますが体力のない弱者にとっては不利に働きます。 「自分だけが良ければいい」という競争社会の考え方は間違っているように思います。

グローバルスタンダードを主だって推進しているのはアメリカです。 アメリカ文化を押しつけアメリカを有利にするためにアメリカンスタンダードをグローバルスタンダードと言って アメリカンスタンダードをアメリカは推進しています。 アメリカにとって都合のいいアメリカ文化を世界に拡げて自分たちにとって都合のいい世界を創ろうとしているのだと思います。 『文明の衝突』(集英社)の著者サミュエル・ハンチントン教授はそれぞれの文化や文明は一つになるのではなく対立、 衝突しあいながら共存すると言っておられます。 それぞれの文化、文明を大事にし、それを世界に発信することが日本が世界で認められる唯一の方法だと思います。 日本の文化や文明を無視してアメリカの真似をした生活や経営をしていれば、アメリカにとって都合のいい線路を引いて やっているようなものですから、いずれアメリカに乗っ取られます。 以前、日本の食文化よりも海外の食文化の方がいいというこで栄養学や料理を海外から採り入れましたが日本人には合わなくて 肥満や病気が増えてきたので日本の食文化を見直すようになってきました。 食文化と同じように商業文化も日本独特のものを見直す方がいいように思います。 だれでもキムタクの真似をしていればキムタクになれるかといえば答えはNOです。 キムタクとは全くの別人が真似をしたからといってキムタクにはなれません。 黒い髪を茶髪に染めてもアメリカ人にはなれません。文化なども同じです。 『インターネット不況』(マイケル・J・マンデル著・石崎昭彦訳・東洋経済新報社)にインテル、アップル、オラクル、シスコ、 ネットスケープ、アマゾンなどのニュービジネスが驚異的な成長を遂げられたのもベンチャーキャピタルの出資を受けることが できたからです。 ところが他国でアメリカと同じようにイノベーション(革新)を利用してニュービジネスが出現しましたがアメリカのようには 成功はしませんでした。それは「イノベーションへの資金調達」というアメリカ流のリスク負担を真似ることができなかった からであるように書かれていました。 他人や他国を真似てもうまくいきません。文化や文明を捨てた国や文化に基づいた物を造らなくなった国に将来はありません。

「消費主義の克服はおそろしく困難ではあるが、一般に言われているより多くの人々が、『もうたくさんだ』と思い 始めているのかもしれない。 消費社会の中核となる国々で行われた世論調査によれば、環境の質と経済成長のどちらかを選ばなければならないとすれば、 過半数の人びとが環境を守る方を選ぶと答えている。」 (『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.164)
世の中全体がスピードに束縛され何でも早くすることを要求されたため、その要求に答えるように出現したのが ファーストフードです。しかし、このファーストフードは私たちの慣習を狂わせ地元の生産者の生産活動にも影響を与え、 人々の健康までも脅かしはじめました。そこで郷土料理などの伝統食の復興や、安全で良質の食材・加工食品を提供する 生産者支援、子供を中心とした食文化啓蒙を目的とし「食事くらいゆっくり楽しもう」と89年イタリアのブラという田舎町 から「スローフード運動」は始まりました。今では世界中に「スローフード運動」は広がりました。 スローフード運動も「もうたくさんだ」という消費社会に反対する運動の一つだと思います。
「認められたいという要求が人を大量消費に駆り立てる。相応の服をまとい、相応の車を運転し、相応の地域に住むのは、 『私はだいじょうぶだ。しかるべきグループに入っている』ということを表現する方便にすぎない。 消費が満足を与えてくれるのは、他人と同じかそれ以上に消費したときであり、前年以上に消費したときである。 したがって言えることは、個人の幸福は消費量の大きさそのものの関数ではなく、消費の増加程度の関数だということである。 その理由は、スタンフォード大学の経済学者であるチボー・シトフスキーによれば、消費には習慣性があって、ぜいたく品は すぐ必需品になってしまい、新しい贅沢品を見つけなければならなくなるからだということになる。」 (『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.29・P.30)
物を消費するにはお金がいりますが収入はたいして増えません。そのため商品は安い方が一つでも多く買え消費量が増えれば 他人からよく見られ自分の満足度も高くなるため一層消費に拍車がかかります。 自分の考えや生き方よりも自分や自分の生活が他人からどのように見られるかに自分の人生を費やしていることになります。 自分の人生を他人に操られているようなもので何かバカみたいとは思いませんか? そのようなバカなことで地球に埋蔵されている資源を費やし、汚染をまき散らすような愚かなことはもう止めましょう。 「消費社会に身を置くわたしたち一人ひとりが要求を満たすためにとる行動の一つが、地球の内部に埋蔵されている エネルギー資源や鉱物資源を地表面や大気中に取り出し、まき散らしている。 その速度が、この一世紀のあいだに、消費の拡大と平行して暴走的に高まったことが、地球環境を危機的状況に陥れようとして いる。」(『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社・P.208・訳者あとがき)
環境が破壊された後で修復するには膨大な費用がかかります。その費用は税金から払われるということはみなさんが払うことに なります。安い商品を造るためと捨てるために環境を破壊しある特定の者だけが富みを得て、壊された環境を修復するために 安い商品を買った人達の税金が使われることになります。そのことに早く気付くべきです。

物価が下がるに従い失業や犯罪などの不安が増え世の中が不安定になり社会も生活も大変になったと思いませんか。 それでも皆さんは安い物を買うことが幸せになると思いますか?


「人は、なくてもすませることができるものの多さに比例して豊かである」 ヘンリー・デビット・ソロー      
 
 
 
エコロジカル・ヘルシーショップ三友 桧垣史郎
引用・参考文献
『どれだけ消費すれば満足なのか』アラン・ダーニング著・山藤 泰 訳・ダイヤモンド社
『ファーストフードが世界をくいつくす』エリック・シュローサー著・草思社
『足を知る経済』安原和雄著・毎日新聞社
『インターネット不況』マイケル・J・マンデル著・石崎昭彦訳・東洋経済新報社
『せっけんも地球を汚す?』朝日新聞・2001年1月8日朝刊
『デフレに克つe店舗』日経流通新聞・2001年9月25日付
『受注激減し苦境』中国新聞新聞・2001年9月27日付朝刊
『5兆円クラブ・6社快走』日経流通新聞・2001年10月4日
『NY貿易センタービル崩壊 危うさ隠す設計思想』中国新聞朝刊・2001年10月8日

(このコラムでの安い商品とは低賃金国からの輸入品やリストラや利益を無視し、無理をして商品価格を下げた商品に対してのことです。 高い商品とは製造者、販売者が適正なマージンを得て販売している価格を指しています。 不当に高利益を得るために商品を高く売ることではありません。)

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